パキスタン経済危機 政治不安から成長率も低下し、テロも頻繁

その他のアジア新興国をみていく。
お世辞にも新興国と言ってよいのかわからないが、インドの隣国で
パキスタンの経済もひどい。
金融危機後だけでなく、もともとタイと同様、政治情勢が不安定な
ことから、今回の米国発の金融危機が襲いかかり、欧米諸国が
パキスタンからマネーを一気に引き揚げたことで、経済危機も一気
に表面化した。


政治では08年2月にブット元首相の人民党とイスラム教徒連盟が
躍進して、両党は連立政権をつくることに合意した。
これにより当時のムシャラフ大統領は、事実上の実権を失ってしま
い、同年8月に辞職した。
その後同年9月に大統領選挙が行われ、パキスタン人民党の指導
者ザルダル氏が大統領に就任。国民も新大統領に大きな期待を
寄せた。


しかしそれも束の間、タイミングが悪いことに米国発の金融危機
重なってしまった。
9月20日にはイスラマバードのマリオットホテルで大規模な爆弾
テロが発生し、その後も混迷をどんどん深めてしまったのである。
現在もアフガニスタンに近い西部のペシャワール付近で、自爆テロ
が頻発しているのは承知の通り。
現地の日本人取材班が銃で太ももを撃たれ、負傷してしまった事件
も起きた。


とにかくパキスタンの経済低下はアジアの中でも早かった。
06年には6.8%の成長率を実現したが、世界的な好景気にもか
かわらず、早くも07年には4%前半に低下。
そして08年には、わずか2%程度の成長しか実現しなかったのだ。
(私が個人的に新興国とは程遠い考えを持つのはこのため)


金融危機後、海外からの投資マネーが急激に流出したことから、
通貨ルピーは急落。
パキスタン中央銀行はルピーを買い支えるために、介入を行い、
ルピーを買い支えた。
しかしこれでも外資の流出は抑えられず、パキスタンの外貨準備高
はどんどん減少していき、ピーク時の4割も減っていったのだ。


とうとう経済危機に直面したパキスタン経済は、急遽IMFに支援
を要請し、緊急融資を取り付けることになった。
さらに親交の深い貿易相手国に対しても、個別に援助を求めた。
同年11月にはザルダイ大統領がサウジアラビアを訪問し、最大2
年間の原油代金支払い猶予を求めたのだ。


パキスタンはインドと同様、日本の二輪・四輪メーカーのスズキが
庶民に親しまれている。
好景気時にはホンダもよく買われており、去年には同国ホンダ・パ
キスタンの幹部が揃って日本を訪問し、一時的ではあるが経済交
流を深めた。
また工業製品ではないが、パキスタンのお米 「バスマティライス」
は世界的にみて有名。
ブランド米としては、日本のお米以上に知れ渡っている。
パキスタンで唯一知名度が高い製品(食品)といっていいだろう。


去年11月にはベトナムとのFTA(自由貿易協定)の交渉に入って
いる。パキスタン製の自動車部品やニット製品にとっては、魅力的
な市場であると語った。



 ★シティアライアンス 代表兼 「ヒルザー・ドットコム」 運営者